存在と時間
ある日、元講師から「中高生と『存在と時間』を一緒に読むならどう進めるか」と問いかけられたところから始まる、施設長のエッセイです。
投稿者:谷本
ある日、元講師から印象に残る話を聞きました。その方の友人である大学生が「もし『存在と時間』を中高生と一緒に読むなら、どう進めるのか」と尋ねてきたというのです。きっかけは、その大学生が以前に聞いた「narZEでは子どもたちと一緒に、一人では読み切れない本を輪読している」という講師の言葉でした。その問いが私のところまで届き、しばらく心に残っていました。
なぜ中高生と哲学書を読むのか。子どもたちには、勉強の「正解」を覚えるだけでなく、自分や社会とどう向き合うかを考える時間も必要だと感じています。ハイデガーは『存在と時間』の中で、人間を「存在を問う存在(現存在)」と呼びました。人はただ生きているのではなく、「自分はどう生きるのか」「何を選ぶのか」を問い続ける、そんな存在だと。
この視点に立つと、子どもたちが日々抱えている葛藤や不安も、単なるつまずきではなく「自分の存在を問う営み」に見えてきます。挫折を経験した子ほど、「私は何をすべきか」「どうありたいのか」と真剣に悩んでいます。それは弱さではなく、自分をつくろうとする力の表れだと、私は思います。
ハイデガーはまた、死を意識することが本当に生を生きるきっかけになるとも言っています。子どもたちにとっても、限りある時間の中で「今この瞬間にどう向き合うか」が、これからの力になっていきます。
narZEは、そんな「存在を問う営み」を受けとめる場でありたいと思っています。勉強の成果や表面的な成功だけでなく、悩みや苦しみを抱えていても「今ここにいること」を共に喜べる場所。子どもたちの存在をそのまま受け止めること。そこから本当の意味で次の一歩が始まるのだと、日々感じています。